はじめに
私は学生の頃、中学高校と6年間体操競技をしておりました。
その後、体操から離れた時期を経て、30代後半に差し掛かるとき、体操を再び始めました。
なぜ、再び体操を始めたのか…
私のとっての体操とは…
私の人生は、体操競技に出会えた事から本当にたくさんのものを学びました。人生の経験をしてまいりました。出会っていなくてもよき人生を送ってきたと思いますが、今の私には、体操競技に出会わない人生は考えられません。
その経験や学びの中には、大袈裟ではなく命をかけて得たものもありますし、大きな回り道もしてきました。
その中で、本当にたくさんの方々に支えられ、助けられて、そして乗り越え、ここまで来る事ができました。
現在は、大きな感謝と共に、これ以上なく幸せな人生を送っております。
体操競技との出会い、そして私の人生に関わってくださる皆様へ、
感謝の想いを込めて、体操の魅力と共にここに記していきたいと思います。
体操との出会い(13〜18)
[第1章]若き心を魅了した体操
「体操競技」との出会いは、中学一年生になる春のこと。
引越し先の家の近くに、体操で有名な体育館があったことでした。
当時行われていたオリンピックメダルリストが所属されていたクラブです。
体操のことは、まったく知らなかったので、自分より小さな子が、細い台の上でバク転をする姿をみて、心に衝撃と感動のようなものを覚えました。
なんだ!?これは!!す、すごすぎる!!と。
すぐに「私もやりたい!!」と感じました。
コーチに体操をしたいことを伝えると、中学生からは、選手コースしかないと、伝えられました。それでも、「やります」と答え、先生側もそれをすぐに受け入れてくださいました。
今思えば、このとき、受け入れてくださらなかったら、今の私はいません。何もできない中学生を、選手コースでみてくださること。本当にありがたいことだったと、感謝の気持ちでいっぱいです。
体操と出会った頃の私
体操をはじめた頃の私は、自分に自信がなく、生きる意味とは?を考えるような子供でした。生きることに疲れていました。
そんなときに出会ったのが、体操でした。
体操をみた瞬間、心が魅了されたのです。瞬間的に私もやりたい!と思った体操。無意識に居場所を探していたんだと思います。
生まれてすぐに母親が働き始めたため、小学生にあがるまでは叔母に預けられてきました。(当時は育休制度がなかったそうです泣)
何でも与えてくれる叔母と、いつも機嫌を伺っていた母親。
私自身も母になり、子供を育てることを経験して、当時の母親に余裕がなかったり、それに対して誰も悪くない事など、現代との違いも含めてとても理解できますので、今でこそ感謝でいっぱいです。
ただ当時の私の性格も相まって、幼いながらもその極端な環境に、とても気をつかって生きてきたと思います。うまくいかないことも自分のせいだと感じ、自信のない子供であり、生きる事に疲れていました。
そんな私に、体操は居場所をくれました。本当の意味で「生きやすさ」を手に入れるまでには、ここからかなりの年月がかかる事になりますが…(20年後のことです泣)
体操は、当時の私にとっても現在の私にとっても「生きるエネルギー」をくれる存在です。
また当時の私の目には、「夢の宝庫」のようにもうつりました。
体操には夢が詰まっています。夢をもたせてくれる、それは体操の魅力のひとつだと思います。
当時はそこまで気づけなかったけれど、この体操との出会いは、私にとってその後の人生を幸せへと導く“運命の出会い”となったのです。
(※現在、母親にはお世話になりっぱなしで本当に心から感謝しています。その後の長く続いた辛い時期を一緒に乗り越えてくれました。本当にお母さん、ありがとう!もちろん、お父さんもありがとう!!)
中学生になるとともに、突然始まった体操漬けの生活でしたが、
最初は何もできない、何も知らない状態からのスタート。
当時は慣れないことも多く、
もちろん大変なことや辛いこともあったはずなのですが、それよりも「みんなのようにできるようになりたい!上手になりたい!」という気持ちの方が大きかったです。私も、人の心を動かせるような体操がしたい!と。
体操競技とは~から始まり、体操の基礎とはなにか、基礎練習を積み重ねる事の意味、大切さまで教えていただくことができました。
体操はその地道な積み重ねによって、ある日できるようになる瞬間があります。そんなところも大きな魅力だと感じます。
その後も転校があり、1年間という短い期間でしたが、毎日選手のみなさんと練習をさせていただけました。(私もいちおう…選手でしたが。)
毎日基礎練習で、私の体操は、この1年間が土台になっていると言っても過言ではありません。
私が生涯人生の生きがいにしようとしている体操の基礎を身につけてくださった、当時の先生やクラブの皆様には感謝の想いでいっぱいです。
番外編
と、ここまで体操への感謝の想いを伝えてきました。
楽しい体操生活の裏で…
このとき実は…性被害にあっていたのです。
体操とは関係ない場所でしたが、見ず知らずの人に体操をしている事をなぜか知られている(体操している子供を狙った?)、という状況でした。
誰にも言えずにひとりで耐えていました。もともとの性質と環境に加えて、言いにくい内容だった事、自分自身も何か起こっているかわからなかった事もありました。
その後の転校により、それ以上続くことはなく、それにより体操自体を嫌いになる事はありませんでしたが、心の孤独はますます大きくなったと思います。
[第2章]のびのびと体操に没頭できた時期
地元に戻る事になった中学2年生からも、体操を続けていきました。
和気あいあいとした環境で、のびのびと体操をさせていただけたこと、“体操ができる事は当たり前ではない”といつも教えてくださったこと、心から感謝でいっぱいです。
今思い出しても、ふっと笑顔になれるような温かい雰囲気で、楽しく体操をさせていただけました。
そして、当時行われていた、鯖江の世界体操やアトランタオリンピックのビデオは、擦り切れるほどみていました。
没頭できるものがある、という事は、私の性質にあっていたと思います。人間関係も含めて、いろんな事を器用にできない代わりに、何か一つのことに集中する事は好きでした。
体操歴2年目になると、体操は、自分自身の身体を使って表現できること、何かを伝えることができることに改めて気づきなおし、より表現について求めるようにもなりました。
また、この頃から少しずつ練習する技のレベルもあがったため、怪我も目立つようになってきます。冷やしながら寝たり、松葉杖で登下校したり…いろいろ思い出されます。
体操は本当に怪我の多いスポーツです。(体操だけではないですが…)
取り返しのつかない怪我だけはしないように十分に気をつけていただきたい、と体操をする方全てに対し、切に願っております。
生きづらさの中で…
そんな楽しく体操に没頭する中でしたが、
このあたりから、“生きづらい”とはっきり感じるようになってきました。
私はなにか周りと違う、と感じていました。
体操に“助けられて”生きていたと、今なら思えます。
ただ当時は、私の中で、“私はそうやってしか(体操を逃げの場所にすること)生きていけないダメな人間だ”と、感じており、その気持ちが、さらに孤独を強めていきました。
体操が居場所をくれていたことは、今思い出しても本当にありがたかった事だし、出会ったものが体操であった事も、本当に運がよかったと思います。(こんなに大好きになれるものだったのですから)
のちに、生きやすさを手に入れてから、再び体操を始める事になるのですが、この時期があって、心底体操を楽しめていますので、私の人生にとって、大切な時期となります。
[第3章]食べなくなった私
心の孤独を抱えていた中学生の私でしたが、
のちにその心の孤独が表面化されるようになります。
中学3年生の終わり頃、私は食べなくなりました。体操でさえも安心できる場所ではなくなると危機感を感じたときでした。
痩せたことで、輪の中に入る努力をしなくても、向こうから話しかけてもらえたり…いつも機嫌をうかがっていた母の対応が変わったり…
拒食を強めるきっかけとなりました。そして、いつのまにか、“痩せていること”それだけが私を保つようになっていました。
この事は、大好きな体操をも犠牲にしました。
食べないから、身体は思うように動きません。
それでも、食べないことは辞められませんでした。
身体は軽いのに、前に走っても進まない、ジャンプしても跳べない感覚を経験しました。
思ったように動けなくても、もう私は“食べる事“や“体重が増える事“を必要以上に恐れ、痩せる事だけが自分を保つ事ができる、自分の価値そのものになっていました。
そのころから“すでに摂食障害になっていた”、という事ですが、その事実に気づけたのは、“体操と離れた時期”になってからです。
ですので、当時は自分を含め、誰も異常だという事に気づかず、独りで苦しみながら高校生活に突入することとなりました。
※補足ですが…
体操という、体重管理のある競技をしていた事は摂食障害になる“きっかけ”にはなりますが、“原因”ではありません。
原因は、本質的な部分が少なからず関わってくると思います。
体操を含め、きっかけになりやすい競技や職業などもありますし、摂食障害は、学校のクラスに1人はいるという現状。程度や症状は人それぞれですので、本人や周りが気づいていないことも少なくありません。
重症化すると人生を大きく脅かします。
もしも…
わたしの経験がどなたかのお役にたてるのであれば、という想いで書いております。
[第4章]摂食障害と共にやり抜いた体操(高校時代)
当時は気づくことなく、摂食障害と共に体操をすることとなっていた高校3年間。
摂食障害になった事、その大きな要因は「強い孤独感」にありました。
孤独感については。これまでに書いてきたとおりですが…
その強い孤独感と共に生きるには、何かに依存することが必要で、
私の場合には、それが「体型」や「食」でした。
高校3年間は、基本的には拒食と、たまに歯止めの効かない過食が襲ってきました。この事が、異常かもしれないと感じつつも、誰にも相談はできずにいました。
もし相談をしてしまったら、食べなさいと言われるかもしれない、体操ができなくなるかもしれない、そんな不安があった事。また相談してもそんなに簡単に解決できる問題ではない事を、身をもって感じていたからです。
この3年間は、普通に食べる事ができず、走っても前に進まない感覚を経験しました。当時の自分は健気に頑張っていたなぁと、今の自分であれば、頭を撫でてあげられます。
だけど、がんばらなくてもいいんだよ、とは声をかけられません。当時の私は、力の抜き方がわからず、抜いたらゼロになる、がんばらずしてどう生きていけるのかわからない、そんな状態でした。
摂食障害になったのも、そんなわからない状態でも生きていくための、必死の応急処置だったと感じています。
そんな高校3年間でしたが、
県の代表として、インターハイや国体にも出場させていただけて、憧れの技もできるようになったりと、本当に素敵な想い出を作る事ができました。
また、こんな異常な食生活や体型への認知の歪みがある中ですから、気づかない場所でたくさんご迷惑をおかけしてきたのではと思います。
中学高校と6年間、お世話になった方々へ心より深く感謝を申し上げます。
☆体操が大好きな子供達へ。辛い事は我慢しなくてもいいんです。話せる人にはなしてくださいね^ ^
︎体操再び始める(36〜)
[第1章]大人で体操を再びはじめたきっかけ
体操を始めた頃のこと
私が学生の頃、競技として体操をしていたのは、中学高校と6年間。
本当は大学でも体操をするはずでしたが、入学してまもなく、そんな状態ではなくなりました。体操ができない、のはもちろんのこと、生きていくことすらままならない状態がしばらく続きました。
そんな体操から離れた時期(試練を乗り越える時期)は長く続きましたので、ある程度の年齢になった頃には、将来の子供の事を考える事もありました。子供はほしかったです。
年齢を重ねるほど、強くそう思うようになりました。ですが、余裕のない当時の自分のままでは、子供に優しくできないことを容易に想像できました。
私には乗り越えるべき課題がありました。
乗り越えなければならないものだと気づいたのは、姪っ子甥っ子が愛されている姿をみて、“羨ましい”という感情があったからです。
それは、悔しさで涙が溢れ、とまらないほど強いものでした。自分も愛されたかったのに!という…。
「アダルトチルドレン」「インナーチャイルド」という言葉はなんとなく知っていました。
ですが、“悩んでいるのは今の私であって、過去の私ではない!だから必要はないはず”、とずっと逃げてきました。
単純に、幼い自分を想像するだけで辛かったのです。
今思えば、想像だけで辛いという事実こそが、必要である証拠になりますが…。
当時のわたしは、子供の頃の癒やされたかった記憶が大人になってもまだ残っている状態でした。これを乗り越えていないうちはきっと、我が子がうまれても、うまく愛してあげる事ができない、「子供の事を考えるのは自分の問題を乗り越えてから」と、そう決めていました。
(※私の場合の事ですので、子供を希望するタイミングに良し悪しはありません^^)
そして…長い年月をかけ、ようやく自分の課題を乗り越える事ができたときには、もうすでに30代半ば。
子供はほしい!とどれだけ願ってもこればかりは神のみぞ知ること。
このまま子供ができない事も視野に入れはじめました。
体操をはじめたのは、この頃です。
私の生涯の生きがいは?と考えたときに、思い浮かんだのが、「体操競技」だったのです。
どうしてもやり残した感が拭えない、体操をもう一度始める事を決意しました。
同じタイミングで、育ての親とも言える叔母が入院した事も、体操を始める後押しをしてくれました。
動けない、食べられない叔母をみて、動ける、食べられる、そんな当たり前のことに感謝をして、動ける身体があるならやりたい事をやって生きていこう、と思いました。
その後、叔母の容体は悪化して亡くなってしまいました。
本当は、叔母にも生きて今の体操する私をみて欲しかったです。
ですがきっと、叔母への感謝の想いは、届いていると思っています!!
決意の37歳
体操競技にマスターズの大会があるのは、もともと知っておりましが、しっかりと調べたのはこのときが初めてでした。
70代でも大会に出ておられる方がいらっしゃる事に、大変勇気づけられました。
体操を再び始めようと、場所を検索するとすぐに見つかりました。
大人でも体操ができる場所を探した事は、それまでにもありましたが、住む場所によっては、なかなか通える場所が見つかりませんでした。
そんな中、恵まれた場所であることにありがみを感じながら、大人になってから初のレッスン参加日を楽しみにしていました。
その初レッスン当日のことは今でも鮮明に覚えています。とても楽しみだったことに加えて、衝撃的な事実を知ることにもなったからです!
わくわくどきどき、レッスン開始♪
久しぶりの感覚に、嬉しさを感じながら…ストレッチ…
ん!?!?
左右開脚が90度しか開きません汗。
曲がりなりにも、学生の頃体操をしていた私です。
たしか、180度くらいひらいていたはず…最後に開いたのはいつだっけ、、
ショックといいますか、人間の老いを感じた出来事でした。
30半ばにもなれば、日常的にストレッチをしておかないと、身体はここまで硬くなるのだと。
この事実を知れたのも、体操を始めてよかった事のひとつです。
柔軟だけではありません。久しぶりにロイター板を蹴ると、前ももが悲鳴をあげました。バク転をすると、腹筋がぶちっときれそうになりました。
こんな動作だけで?
現実を思い知るよいきっかけとなりました。
かなりショックだったようで、その日から毎日、柔軟に励んでいる自分がおりました。
90度から180度近く開けるようになるには、すぐとはいきませんでしたが、毎日コツコツ続けていくと、いつの間にか180度に近づいていました。
あれ?開いてる!!
そう気づく瞬間があるのです。
心が躍る瞬間です!
そんな瞬間も、大人で体操をする楽しさのひとつです。
できない事ができるようになる事は、夢のある素敵な事です。
[☆筋力の衰えには、慎重さも必要です。やらなければ前に進みませんが、やり過ぎてはできない身体になってしまいます。
“自分の身体と向き合える”、もしかしたら、ここが“芯の”大人が体操をするメリットかもしれません。]
体操をする事を、生きる意味として楽しんでいこうと、決意した37歳の冬でした。
愛しい宝物
そして春を迎え38歳になったわたしは、初めてのマスターズ出場に向けて、練習をしていました。そういえばこのときは、伸身前宙もできるようになってました。
学生の頃の自分を超えるぞ!と意気込んでいたのを思い出します。
そんな中です。
妊娠している事がわかりました!!
わかったのは7月。もう大会の申込みも済ませて、大会まであと2か月。
体操を始めた頃に比べたら、できるようになった事がたくさんあり、初の出場をとても楽しみにしていました。
そんな中でしたが、赤ちゃんができた事は、どんなことよりも嬉しいこと!!
その年のマスターズは棄権し、翌年の3月、無事に息子が誕生しました。
子供ができないかもと感じたときに始めた体操でしたが、愛しい息子が誕生し、幸せいっぱい感謝感激の体操人生です。
私は、結婚ぜず最初からシングルを選ぶ事となりましたので、
ここからは、
息子と2人で歩む「体操生活」が始まる事となりました。
[第二章]産後からのマスターズ出場
2021.3月に息子が誕生し、目標は2022のマスターズ出場でした。
出産後は一度も腹筋ができなくなっていました。10か月お腹を大切に守ってきたという証拠なので嬉しい気持ちの伴う体力低下です。
とはいえ、ここからまた元の状態に戻す…
そして最優先は息子である事。
その中で体力を戻すのは、育児ながらトレーニングなど工夫もしましたが、父母の協力なしではなし得ないことでした。
(感謝してもしきれません…ありがとう本当に…泣)
産後数ヶ月は無理しないように十分気をつけて体力を戻し、次第に床でバク転や鉄棒でけあがりなど、少しずつできるようになっていきました。
2022年になってからはいよいよマスターズ出場に向けて、体育館での練習を始めました。出産前のレベルまでは戻りませんでしたが、初めての大会をとても楽しみにしていました。
ついに本番!
私(たち)のレベルでも、世界で戦う選手たちと同じ器具を使えるという事、そして選手たちと同じあの素敵なレオタードを着用できるという事。
これは、大人で体操をする特権です。本当にわくわくしていました。
そして、何から何まで初めてのこと。10代ぶりの大会です!
前日の会場練習に行くと、皆さんが楽しそうに明日の本番に向け練習に励んでいました。私はそれほど練習できなかったので、場違いな感じもしてしまったほどです。
ですが、それぞれの想いで体操ができるのも、大人体操の特徴です。
私が、[体操から離れた時期]を乗り越えるには、数えきれないほど多くの助けと大きな支えがありました。息子がうまれてからも、大会に出場するためには、周りの理解と支えがなければ成し得ない事です。
今がどれほど幸せなことかを噛みしめながら、“怪我に気をつけて最後まで楽しむ!”事を最大の目標に本番を迎えました。
学生の頃は緊張して実力を出せないタイプでしたが、大人になってからの体操は、緊張せず純粋に体操を楽しめた大会となりました。
そんな私に運もついてきました。年代別で準優勝していた事がわかりました。右も左もわからずの初出場でしてので、大きなプレゼントまでいただいてしまった感覚でした。
出場後の感想
そして、大会に出て感じたことがあります。
この大会はどんな人でも体操を楽しめるようになっている、という事。
マスターズ独自の最点方法があり、技ができるできないでそこまでの点差があるわけではない事を知りました。大会に出場するまで分からなかった事でした。
未経験で大人から体操をはじめた方も体操を楽しんでおられます。
怪我で一度体操から離れた方も楽しんでおられます。
子供を何人産んでも何度も復帰して楽しんでおられます。
10代から70代まで…何歳でも何歳からでもみんなで体操が楽しめる大会なのだなと、身をもって感じました。
この大会は、もっと多くの方に知ってほしいなと、素直に感じました。
そして、これは自分自身が大人になってから体操をはじめて感じた事ですが、
マスターズに出場されている方や、大人で体操をされている方…
仕事や家庭がある中で練習する事は、並大抵の事ではありません。真の体操好きでないと、続ける事はできません。
そんな中、こんなに一生懸命練習されている姿には、体操を愛する気持ちを感じます。
怪我や体調に十分気をつけて、たくさんの方と、これからも体操競技を楽しんでいけたら、思っています。