このブログを立ち上げるきっかけとなった、
自分自身の歴史[産声をあげてから、現在まで]を、まとめました(^^)
主に『体操競技との出会い』と『生きやすさを手に入れるまで』になりますが、
それにまつわる問題や、解決に必要だったこと、今現在の幸せな日々について…
そこにはいろんな場所にヒントが潜んでいると思っています。
今でこそ自分自身を俯瞰してみられるようになりました。
その経験がどこかでどなたかのお役にたてたら…
少しでも元気や勇気をもっていただけたら…
そんな想いでまとめております♪
ゆこそまヒストリー
誕生~幼児期
1982年3月。長女として生まれます。
その後、妹、弟もうまれ、休日には両親がいつもどこかに連れて行ってくれる
“アウトドアなおもしろ楽しい家族”のもと、育ちました。
幼児期は、産後も働く母にかわり、叔母がみてくれていました。
(※当時は育休制度がなかったので、働くしかない時代でした。大変だったと思います泣)
なんでも与えてくれる叔母と、いつも機嫌をうかがっていた母親。
両親、叔母たちの大きな愛情に囲まれて育ちましたが、甘えたという記憶がなく、
どちらにも安心できる感覚はありませんでした。(自分に安心できる場所がないことに気づいたのは30代になってからになります。)
小~中学生
とてもマイペースですが、とても気にするタイプでした。
小さいなりにストレスも抱え込みやすかったと思います。
小学校3年頃から、体型を気にして隠れてダイエットをはじめました。
褒められたら安心、できないことがあると焦りを感じる子供でした。
一番低い点数をとってしまった日のことは、今でも鮮明に覚えています。
中学から体操を始めました。はじめて体操を知ったとき、居場所を感じました。
自分に対する自信のなさ、むつかしい空気感、など…体操していると逃げることがでました。
その中学当時、性被害にあいますが、誰にも言えませんでした。
心の孤独はさらに深くなります。
中学終り頃から拒食に。体操にも居場所がなくなってしまう危機を感じた頃でした。
この頃が一番痩せて筋力もなくなっていました。
高校生
高校から実家を離れ、体操を続けます。
体操をしていると、家族も周りも応援してくれ喜んでくれます。
みえない心の孤独を、体型や食に依存することで保っていました。
高校3年間は、拒食と過食の混合。
中学のころのようなパワーはなくなり、思い切り走っても前に進まない感覚でした。大好きな体操を犠牲にして生き延びた時期になります。
大学生
大学は、実家と高校からも遠い場所へ。すぐに体操はできなくなります。
過食が爆発。何がきっかけとか、何をすれば治るとか、その域を超えてしまった、と感じました。しばらくこの過食欲はとまらないと恐怖すら感じました。
当時、“摂食障害”の認知度は低く、周りの理解も得られません。
孤独感は増していきます。
このころの体型に関する執着度は異常でした。(体型だけが自分の価値、という歪んだ認知。)
30㎏代~70㎏代の増減を繰り返しました。
3年の夏、退学。実家に戻ります。
20代
実家に戻ってからも、過食の苦しさは続きました。
自分も含め、まだ誰も根本的な問題に気づいていないため、
よかれと思いしたこと、してくれたことが、
ますます悪化させ、長引く原因になることが多かったです。
摂食障害だとしても軽度だろう、という周りの評価と、
実際には重度であった、という相違が、さらに自己肯定感をさげていく事になりました。
体操に出会ったことで人生転落してしまった、と思ってもいないことを訴えたりもしました…。
※高校生の頃、大切にしていた体操の写真を破いたのはこの頃。⇒「サロンを始めるきっかけ」より
ですが、そもそも体操は、
心の安心できる場所や、自己肯定感の代用にはならないのです。(のちに気づく事になります)
本来向き合う問題から逃げていた時期になります。
このころから、頭痛は確かにありましたが、
まだ軽度であったため、過食症という大きな悩みに隠れていました。
30代前半
30歳を過ぎた頃、カウンセリングを受けていたとき、
・過食がないと困る(生きていけない)
・私には安心する(ほっとする)場所がない
ことに気づきました。
それまでも、いろんな場所でカウンセリングは受けてきましたが、
はじめて気づいたその事実に衝撃を受けたのを覚えています。
こんなに過食のせいで苦しんでいるのに、過食のない生活を想像すると、寂しさに耐えられない自分がいました。
そして、安心できる場所がない、ということ。
最初こそ「私自身の甘え」や「応援しない」と口にしていた両親も、次第に、
よくなるためなら、私のためなら何でも、本当にどんなことでもしてくれるようになっていたので、
まったく気づくことのなかったその事実。
カウンセラーさんの「ホッとする場所はありますか?」との問いに、涙があふれとまらなかったときには、
抜け出せない原因がここにある、と感じました。
その後の人生を大きく変えるとても大きな気づきでした。
ここから入院を何度か繰り返します。
希望と絶望を繰り返しながらになりましたが、入院中には、先生や看護師さんにたくさん支えていただきました。
そんな中、
あるとき気づいてしまいます…。もし過食が治っても、頭痛で生きていけないんじゃないか…
いつしか、頭痛が過食より深刻になっていました。
最初はたまに頭痛を口にするくらいでしたが、いつしかお風呂にはいるのも困難になるくらいにまで悪化しました。
頭痛(と倦怠感)に関しては、サインバルタという薬に出会います。
そこから、薬を飲めばなんとか生きていけるようになりました。
そして、あることをきっかけに、自分の生きにくさの原因に気づくこともできました。
うまくいかないことなど、自分のせいではないと気づけたとき、はじめて心が軽くなりました。
苦手意識により後回しにしていたインナーチャイルドに真剣に取り組むきっかけにもなり、
心から安心できる場所を感じることができました。
“あーこれなら過食必要ないかなぁ…”と自然に思えました。
30代後半~現在(40代)
自分の問題が片付いたとき、気づくと30代後半になっており、
子供のいる人生を望む自分に対し、こればかりは神のみぞ知ること。
1人で生きていく人生を覚悟したとき、そして、
その先の生きがいを考えたときに頭に浮かんできたのが、体操でした。
36歳の冬、再びアクロバットを始めます。
37歳、大会を目指し体操練習開始。
初めての大会出場が二か月後に迫る頃、なんと、息子の妊娠がわかります。
体操をしていたら、思わぬ形で宝物までやってきました。
その年の大会は棄権→息子を出産→翌年、40歳で初出場。“出場すること”が目標でしたが、なんと年代別で2位となり、本当にうれしかったです。奇跡です☆
そこから毎年大会に出場することを目標に、生涯体操人生を楽しく生きています。
体操ができる喜び
体操が逃げではなく、自分の課題に向き合うために体操に出会ったのだと、
人生転落ではなく、学びのきっかけだった、と
今ではそう感じています。
心から安心できる場所があり、自己肯定感が確立したうえでの体操ができること、
こんなに幸せを感じられるのは、“今まで乗り越えてきたもの“の存在が大きいと感じています。
一方、今現在も、薬を飲んで生活をしています。
薬を飲み忘れると、頭痛、倦怠感が次第に強くなっていき、日常生活に支障がでてきます。
今のところ、薬を飲めば支障なく生活はできるので、本当に助かっています。
そして今では、父母との絆は深く、過去に感謝して日々生きています。
甘え下手な子だったとは思えないほど、今はお世話になりっぱなしで…
父母の助けがあり、
仕事ができる!子育てができる!体操ができる!本当にありがとう(泣)!!
自分のことで精いっぱいのときには、人のために何もできないことが悔しかったです。
だから、それができるようになった今、
自分にできることで恩返しをしたいと、思っています。
=幸せを感じることに、体調や環境は関係なかった=
幸せはいつでもすぐそばにあって、気づけるかどうかだということ、、
そんな事を伝えていける人になりたいです。
《40代、まだまだここから。これからもたくさん笑って生きていこう☆》
[2024.11.17 最終更新(42歳時)]